小浜市には梅田雲浜史跡が点在しています。
銅像は沢山あって雲浜推しの様子。
他の小浜出身の有名な歴史上の人物として、
教科書に必ず載る杉田玄白がいますが、
杉田の銅像は市内に1体しかありません。
「梅田雲浜先生像」。
小浜市立雲浜小学校にある銅像。
校名の雲浜は梅田雲浜からの命名ではなく、
土地名の雲浜村から。
この像は若き日の雲浜像とのこと。
城内より橋を渡って南川を越えて千種へ。
「梅田雲濵先生誕生地」碑。
千種2丁目中央付近に碑が建っています。
小浜藩士矢部岩十郎邸のあった場所で、
雲浜は岩十郎の次男として生まれました。
次男であった為に家督は継げず、
独立して梅田姓を名乗っており、
小浜の浜の別名である雲浜を号しています。
「梅田雲濵像」。
小浜市中央公園の雲浜像。
こちらはなかなか渋めの表情の像。
元々小浜公園に建てられていたようですが、
戦中の金属拠出によって撤去され、
戦後に新たに建てられたもの。
「杉田玄白顕彰碑」。
小浜中央公園に杉田玄白顕彰碑もあります。
杉田玄白は解体新書、蘭学事始と共に、
日本史の授業で必ず教えられており、
知名度はかなり高いですね。
杉田は小浜藩の江戸詰めの藩医でした。
「杉田玄白之像」。
杉田玄白記念公立小浜病院前の銅像。
少年かお坊さんの像かと思いました。
一般的な杉田玄白のイメージといえば、
肖像画のお爺さんのイメージですからね。
「旧順造館正門」。
福井県立若狭高等学校にある藩校の正門。
藩校順造館は7代酒井忠用の頃に設立され、
梅田雲浜も勿論学んでいます。
雲浜小学校の通用門となっていましたが、
河川改修工事に伴い移築されました。
「伴信友先生誕生地」碑。
若狭高校構内にある伴信友の誕生地の碑。
伴は平田篤胤、橘守部、小山田与清と共に、
天保国学の四大人と称されており、
学に篤きこと無比と称されています。
ここは伴の実家で小浜藩士山岸惟智邸の跡。
市街の西端にある小浜公園へ。
「梅田雲濵先生之碑」。
小浜公園にある雲浜の顕彰碑。
揮毫は山縣有朋とのこと。
ここは拉致被害者の地村保志氏が、
北朝鮮工作員に拉致された現場です。
小浜公園を出て市街北側にある松源寺へ。
「松源寺」。
松源寺に雲浜の墓所があります。
雲浜の実家である矢部家の菩提寺で、
墓には分骨が納められているようです。
「梅田雲浜像」。
寺の前にも雲浜の銅像があります。
銅像は小浜市立遠敷小学校にもあるらしい。
「梅田雲濵先生之墓」。
雲浜は浅草海禅寺に葬られましたが、
昭和45年に分骨されたようで、
菩提寺のこの寺に墓が建てられたとのこと。
雲浜は江戸で吉田松陰と会って意気投合し、
松陰や宮部鼎蔵らと花見も行っています。
萩にも出向いて松陰に会っており、
松下村塾の額面を依頼されたという。
ただ松陰は雲浜が物産交易の仲介で、
商人の真似事をしてるのを嫌い、
後の取り調べで雲浜を非難しています。
雲浜は紀州や五条、十津川に遊説に歩き、
尊皇攘夷を説いたようですが、
安政の大獄で捕縛されて獄死しています。
小浜では雲浜を先生と呼んでいるらしく、
萩での松陰と同様の扱いとのこと。
偶然なのか大獄の犠牲者を代表する3人は、
何れも日本海側の出身だったりします。
※吉田松陰=萩、橋本佐内=福井。
■関連記事■
・京都府京都市 安祥院/梅田雲浜墓所
京都にある梅田雲浜の墓所。
・東京都台東区 海禅寺/梅田雲浜墓所
梅田雲浜の本墓。
・滋賀県大津市 梅田雲濱先生湖南塾址
雲浜が大津で開いていた塾の跡。
・福井県小浜市 小浜城跡
梅田雲浜は小浜藩の出身。
・京都府京都市 京都霊山護國神社①
霊山護国神社には雲浜の碑があります。