幕府による長州破壊工作

長州は忍者大国(記事はこちら)という妄想。
どう考えてもあり得ない話なのですが、
意外と信じている人達もいるようです。
でも実はどちらかというと長州藩の方が、
間者の破壊活動に悩まされていました。

第二次長州征伐の迫る慶応2年3月18日。
山口天花村合薬製錬所が爆発炎上しました。
従事する16名が犠牲になりますが、
その爆発原因はわかっていません。

また同年4月10日。
長府藩の下石原村弾薬製造場が火災で全焼。
これは放火によるもののようで、
長府藩は下手人の捕縛に努め、
付近の山中で米数俵を見つけて、
その足取をつかんで下手人を捕縛します。
下手人は本藩領内の農民と判明しますが、
何故支藩の火薬庫に放火したのかは不明。

そして更に同年4月21日。
またも本藩の火薬製造工場が火災全焼。
どこにあった工場か不明。

これらは間者による破壊活動だとされ、
領内に入る道に関門を設け、
全藩で厳戒体制を敷きます。
間者の仕業という証拠はありませんが、
タイミングの良すぎる3件の火災。
長府藩の件は本藩農民だということですが、
間者が金を渡してやらせた可能性も高く、
代々農民を装った隠密の可能性もあります。
山中で米数俵を用意していたりと、
とてもシロウトとはおもえません。
会津藩間者を潜り込ませていたようで、
捕縛された神戸岩蔵もいます。
※記事はこちら

長州藩も間者を各地に送り込んでましたし、
広島の幕府軍が長州進攻を決めた事も、
間者の報告によってもたらされています。
情報は大切ですからね。

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