神奈川県横浜市 生麦事件関連史跡

生麦事件で知られる生麦は、
かつて貴志村と呼ばれていましたが、
2代将軍徳川秀忠の行列がこの地を通行中、
道が浸水して難渋した際、
村人たちが街道脇の生麦を刈り取って道に敷き詰め、
秀忠の行列が通行出来るようにしました。
これに秀忠は感謝して、この一帯を生麦と改名させ、
村人に特別な漁業権を与えたという由来があります。

またキリンビールのビール工場がありますが、
この地を選んだのは全くの偶然ではないでしょうね。

そんな生麦ですが、全国的に有名なのは生麦事件です。
周辺や関東の方々はそうではないのかもしれませんが、
我々地方の人間は「生麦」=「生麦事件」な訳です。

生麦事件は薩摩藩国主島津久光の行列に、
馬に乗った英国人4人が出くわし、
それを制止した藩士達が、
4人を殺傷(1名死亡2名重傷)した事件。
教科書にも載っていますし、
聞いたこと無い人はいませんよね。


生麦事件発生現場」。
東海道の沿いの民家に、
説明板が設置されています。
久光の行列は江戸からの帰路に生麦村に差し掛かり、
4人の馬に乗った英国人と遭遇しました。

行列の先頭を行く藩士達は、
4人に下馬を身振り手振りで求めますが、
4人は行列の中を逆行して進み、
どんどん行列の中央へ。
彼らは藩士らの顔色を見て、これはマズいと思い、
引き返そうと馬首をめぐらせますが、
その瞬間に藩士らが一斉に斬りかかります。

4人の英国人は、
ハード商会社員ウッドソープ・クラーク
貿易商ウィリアム・マーシャル
チャールズ・リチャードソン
そして観光に来ていたマーガレット・ボラディル夫人。
最初の一太刀を奈良原喜八郎がリチャードソンに与え、
4人は驚いで馬を走らせます。
クラークは肩を斬られ、
マーシャルは脇と背中を斬られますが、
ボラディル夫人は帽子を落とされただけで無傷で逃亡。
クラークとマーシャルも夫人の後に逃走しますが、
リチャードソンは傷が重く200m程逃げて落馬し、
追いかけてきた藩士に止めを刺されています。
※事件の詳細(誰が誰を斬ったなど)は諸説あって、
 色々と語れる程詳しくないので簡単に説明致しました。



生麦事件発生現場より旧東海道を西へ進み、
首都高速の降下に差し掛かると、
最近整備されたような場所が。


生麦事件碑」。
リチャードソンが落馬して止めを刺された場所に、
鶴見の薬剤商黒川荘三が建てた碑。

 文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜
 殞命于此処乃鶴見人黒川荘三所有之地也
 荘三乞余誌其事因為之歌々日
 君流血号此海壖我邦変進亦其源強藩起号
 王室振耳目新号唱民権擾々生死聴知聞萬
 国有史君名傳我今作歌勅貞珉君其含笑干
 九原
 明治十六年十二月  敬宇中村正直 撰


 文久2年壬戌8月21日。英国人リチャードソン
 ここに殞命す。乃ち鶴見の人黒川荘三所有の地なり
 荘三は余に其の事を記さん事を乞う
 因って之が為に歌う、歌いて曰く
 君此の海壖に流血す
 我邦の変進も亦其れを源とす
 強藩起って王室に振るう
 耳目新たに民権を唱う
 擾々たる生死聴か聞いて知る
 万国に史有り君が名を伝う
 我今歌を作って貞珉に勒む
 君其れ九原に含笑せよ
 明治16年12月  敬宇中村正直 撰


あなたの死は無駄ではなく、
我が国の礎になったという意味ですね。


それにしてもリチャードソンが「力査遜」とは・・。
遜って力を調査・・。
偶然にもその後、
英国は薩摩藩の力を知る事になります。

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