戦場ヶ原公園。
この殺伐とした名称の公園は、
一聞すると古戦場であろうと想像しますが、
別に古戦場だった訳ではありません。
幕末期には長府報国隊の教練場となり、
明治期以降は大規模な要塞となっていますので、
古戦場ではないにしろ戦争に関係ない訳でなく、
戦場ヶ原の名称が付けられてもおかしくない。
いつからそう呼ばれたのかは諸説がありますが、
幕末期には旭陵(あさひがおか)と記されており、
その後の要塞化されてからと思われます。
「戦場ヶ原公園」。
現在は比較的大きな公園として整備され、
409本のソメイヨシノが植えられて、
桜の名所となっています。
敷地内に「忠霊の塔」などの碑はありますが、
要塞の遺構は完全に埋められていて、
何も残ってはいません。
長府報国隊の招魂場も設けられていましたが、
後に桜山招魂場に移されています。
公園中央付近には展望台もあり、
下関を一望・・とまではいきませんが、
ある程度の眺めはありました。
遊具もあって子供連れも多く、
意外に桜の季節以外でも人は多いようです。
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