伏見区深草東伊達町にある深草陵。
54代仁明天皇の御陵とされています。
「深草陵」。
名神高速南にある仁明天皇の御陵。
仁明天皇は52代嵯峨天皇の皇子で、
平安京遷都後に誕生した最初の天皇。
天長10年(833)に叔父の淳和天皇が譲位し、
第54代天皇となります。
淳和上皇の皇子恒貞親王が皇太子となり、
嵯峨上皇の院政により政治は安定。
藤原良房の娘妹順子が中宮となり、
任明天皇の皇子道康親王が生まれますが、
良房は甥の皇位継承を望み、
恒貞親王の廃嫡させようと画策した為、
自ら恒貞親王は皇太子辞退を奏請しました。
しかしこれは嵯峨上皇に慰留されており、
後に淳和上皇や嵯峨上皇が崩御すると、
恒貞親王に仕える伴健岑と橘逸勢は、
危機感を覚えて恒貞親王を東国へ移し、
親王の身を守る事を画策。
これを察知した仁明天皇は伴らを捕らえ、
計画に加担した者達を処罰しており、
結局は恒貞親王が廃嫡され、
道康親王(後の文徳天皇)が皇太子となります。
※承和の変。
その後も筑前守文室宮田麻呂を追放したり、
側近藤原有貞を地方官に左遷しますが、
任明天皇自身は病気がちであり、
自ら薬を調合して飲んでいたという。
嘉祥3年(850)に病を理由に譲位しますが、
その2日後に崩御しています。
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