治定地」タグアーカイブ

京都府京都市 菩提樹院陵

菩提樹院陵は68代後一条天皇陵の御陵。
後一条天皇は長元9年(1036)に崩御し、
神楽岡の東麓で火葬されており、
遺骨は浄土寺(現浄土院)に一時安置。
母である藤原彰子(一条天皇皇后)は、
天皇の火葬所に菩提樹院を創建し、… 続きを読む

京都府京都市 神楽岡東陵

神楽岡東陵は57代陽成天皇の御陵。
百人一首には8人の天皇が選出されていますが、
陽成天皇も陽成院として名を連ねています。
 つくばねの峰よりおつるみなの川
  恋ぞつもりて淵となりぬる



神楽岡東陵」。
57代陽成天皇の御陵。
陽成天皇は56代清和天皇の第一皇子で、
僅か9歳で譲位されて即位しており、… 続きを読む

京都府京都市 北白河陵

北白河陵は94代後二条天皇の御陵。
京大吉田キャンバス北部構内近くにあります。


北白河陵」。
94代後二条天皇の御陵。
後二条天皇は91代後宇多天皇の第一皇子で、
93代後伏見天皇の譲位で即位しますが、
徳治3年(1308)に僅か7年の在位で崩御。
次代は花園天皇が即位しました。… 続きを読む

京都府京都市 廬山寺/廬山寺陵

廬山寺は皇室の崇敬を受けており、
多くの皇族が墓所としています。
特に閑院宮典仁親王は即位していませんが、
119代光格天皇の実父であり、
122代明治天皇の高祖父であることから、
後に太政天皇の尊号が贈られて、
慶光天皇と追諡されました。


廬山寺陵続きを読む

京都府京都市 九條陵

仲恭天皇は第85代天皇ですが、
僅か78日という最も在位期間でした。


九條陵」。
85代仲恭天皇の御陵。
仲恭天皇は順徳天皇の第三皇子で、
祖父後鳥羽上皇幕府追討の為に挙兵すると、
父の順徳天皇もこれに参加する為、
僅か4歳の仲恭天皇に譲位しました。
※承久の乱。
しかし後鳥羽上皇は幕府に敗北し、
祖父は… 続きを読む

京都府京都市 深草北陵

深草北陵深草陵北西400m弱にあり、
鎌倉~室町期の12人の天皇と、
親王が1人葬られています。


深草北陵」。
89代後深草法皇(後深草天皇)は生前より、
深草に法華堂を建立して葬るよう遺言。
崩御後は遺言どおり火葬され、
法華堂建立後に遺骨が納骨されます。
その後は持明院統続きを読む