京都府京都市 廬山寺/廬山寺陵

廬山寺は皇室の崇敬を受けており、
多くの皇族が墓所としています。
特に閑院宮典仁親王は即位していませんが、
119代光格天皇の実父であり、
122代明治天皇の高祖父であることから、
後に太政天皇の尊号が贈られて、
慶光天皇と追諡されました。


廬山寺陵」。
慶光天皇の墓域は宮内庁が管理しており、
周辺の親王皇子皇女と墓と共に、
廬山寺陵となっています。


慶光天皇陵」。
正面奥の墓石が慶光天皇(典仁親王)の御陵。
※墓碑銘は遠くて読めません。
多宝塔型の墓石となっています。
典仁親王は閑院宮直仁親王の王子で、
父直仁親王の死去に伴いに閑院宮を相続。
安永8年(1779)に118代後桃園天皇が崩御し、
典仁親王の王子師仁親王(光格天皇)が即位し、
光格天皇は父に太上天皇の尊号を贈り、
宮中での地位を上げようとしますが、
幕府内で老中松平定信らが強硬に反対し、
朝廷と幕府の関係は悪化しています。
尊号一件
結局は太上天皇の尊号は贈られず、
閑院宮典仁親王は寛政6年(1794)に死去。
上記の様に明治となってから、
太上天皇の尊号が贈られました。

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