伏見宮貞成親王は伏見宮栄仁親王の子で、
北朝3代崇光天皇の孫にあたります。
101代称光天皇に嫌われていた為、
親王宣下を受けた後に薙髪に追い込まれ、
道欽入道親王となっていましたが、
第一王子彦仁王が102代天皇に即位し、
後花園天皇となったことにより、
先例に習い太上天皇の尊号が奉られました。
「伏見松林院陵」。
後崇光太上天皇(伏見宮貞成親王)の御陵。
後花園天皇即位後も後小松院が院政を敷き、
天皇の実父ではありましたが、
実権は握っていなかったようです。
後小松院の崩御後に太上天皇となり、
後崇光院と称されましたが、
翌年には尊号を辞退。
和歌や囲碁、双六等の遊びを楽しみ、
晩年を過ごしたとされています。
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