仲恭天皇は第85代天皇ですが、
僅か78日という最も在位期間でした。
「九條陵」。
85代仲恭天皇の御陵。
仲恭天皇は順徳天皇の第三皇子で、
祖父後鳥羽上皇が幕府追討の為に挙兵すると、
父の順徳天皇もこれに参加する為、
僅か4歳の仲恭天皇に譲位しました。
※承久の乱。
しかし後鳥羽上皇は幕府に敗北し、
祖父は… 続きを読む
「治定地」タグアーカイブ
京都府京都市 深草北陵
深草北陵は深草陵北西400m弱にあり、
鎌倉~室町期の12人の天皇と、
親王が1人葬られています。
「深草北陵」。
89代後深草法皇(後深草天皇)は生前より、
深草に法華堂を建立して葬るよう遺言。
崩御後は遺言どおり火葬され、
法華堂建立後に遺骨が納骨されます。
その後は持明院統… 続きを読む
京都府京都市 深草陵
伏見区深草東伊達町にある深草陵。
54代仁明天皇の御陵とされています。
「深草陵」。
名神高速南にある仁明天皇の御陵。
仁明天皇は52代嵯峨天皇の皇子で、
平安京遷都後に誕生した最初の天皇。
天長10年(833)に叔父の淳和天皇… 続きを読む
京都府京都市 伏見松林院陵
伏見宮貞成親王は伏見宮栄仁親王の子で、
北朝3代崇光天皇の孫にあたります。
101代称光天皇に嫌われていた為、
親王宣下を受けた後に薙髪に追い込まれ、
道欽入道親王となっていましたが、
第一王子彦仁王が102代天皇に即位し、
後花園天皇となったことにより、… 続きを読む
滋賀県大津市 長等山前陵
大津市役所の真裏にある長等山前陵。
これは39代弘文天皇の御陵ですが、
弘文天皇は明治時代まで天皇とは認められず、
皇太子として記録されていましたが、
江戸時代より大友皇子即位説が支持された為、
明治3年に明治政府… 続きを読む
京都府京都市 十樂院上陵
十樂院上陵は95代花園天皇の御陵。
知恩院西側の神宮通沿いに門があり、
その奥100m程度の場所にあります。
「十樂院上陵 参道入口」。
知恩院の北側に位置しており、
薬医門がその入口となっていますが、
訪問時は祝日であったので、
その門が閉ざされていました。
※平日のみ開門とのこと。
花園天皇は… 続きを読む
三重県鈴鹿市 能褒野神社/能褒野墓
能褒野神社は三重県亀山市にある神社で、
日本武尊命を主祭神として祀っています。
武尊の墓とされる能褒野墓の側に、
明治28年に創建されました。
「能褒野神社」。
明治16年に久邇宮朝彦親王より、
能褒野神社の社号が選定され、
翌年に能褒野墓側への創建が許可。
有栖川宮を始め宮家… 続きを読む