仲恭天皇は第85代天皇ですが、
僅か78日という最も在位期間でした。
「九條陵」。
85代仲恭天皇の御陵。
仲恭天皇は順徳天皇の第三皇子で、
祖父後鳥羽上皇が幕府追討の為に挙兵すると、
父の順徳天皇もこれに参加する為、
僅か4歳の仲恭天皇に譲位しました。
※承久の乱。
しかし後鳥羽上皇は幕府に敗北し、
祖父は隠岐へ、父は佐渡へと配流。
仲恭天皇も廃されてしまいます。
その後は母東一条院の実家九条家で隠棲し、
僅か17歳で崩御しました。
九条陵参道には月輪南陵があります。
これは75代崇徳天皇の皇后の御陵。
「月輪南陵」。
7崇徳天皇の皇后藤原聖子の御陵。
太政大臣藤原忠通の長女で、
崇徳天皇の皇后となりますが、
後に保元の乱で77代後白河天皇と、
崇徳上皇が争った際は、
父の忠通は後白河天皇に味方した為、
板挟みの苦しい立場となっており、
後に出家しています。
※保元の乱は後白河天皇が勝利し、
崇徳天皇は讃岐に配流。
後に怨霊となったとされます。
■関連記事■
・京都府京都市 崇徳天皇御廟
75代崇徳天皇の遺髪陵。
・京都府京都市 伏見松林院陵
後崇光太上天皇の御陵。
・京都府京都市 十樂院上陵
95代花園天皇の御陵。