伏見稲荷大社は稲荷社3万社の総本社。
霊峰稲荷山の西麓に鎮座し、
その創建は平安遷都よりも古く、
和銅4年(711)とされており、
1300年以上の歴史を誇っています。
「楼門」。
天正17年(1589)再建の楼門。
豊臣秀吉が母大政所の病の治癒を祈願し、
建立されたものとされます。
成就で1万石奉加するという願文が残り、
大政所の病は一時平癒したようですが、
秀吉は半分の5000石を寄進したとのこと。
そのせいではないでしょうが、
大政所は2年後に死去しました。
楼門の南北には回廊が付属しており、
これらは国指定重要文化財となっています。
「外拝殿(舞殿)」。
楼門を過ぎた先にある外拝殿。
天保11年(1840)に再建されたもので、
軒下に12個の鉄灯篭が吊るされており、
[黄道十二宮]があしらわれています。
稲荷祭には五基の神輿を並べるとのこと。
国指定重要文化財。
「内拝殿」。
昭和36年に建立された内拝殿。
本殿の正面に建てられていますが、
元々は外拝殿しかなかったようです。
本殿は明応3年(1494)再建で国指定重文。
「権殿」。
寛永12年(1635)建立の権殿。
本殿の修復する際に御神体を移し、
一時的に祀る為の社殿です。
こちらも国指定重要文化財。
「千本鳥居(入口)」。
千本鳥居を撮影したかったのですが、
人が多すぎで諦めました。
昨今のインバウンドの為に、
京都ではどこも人が多いのですが、
特に伏見稲荷大社は異常な数。
※八坂神社も同様に多いです。
これは悪い事ではないのですが、
結婚前に嫁さんと来た際は、
こんなに人はいなかった記憶があります。
10年以上前の話ですが・・・。
江戸以前は他社と同様の神仏習合が進み、
愛染寺が神宮寺の役目を負いました。
朝廷の他に町人や商人らに崇敬され、
商いに御利益があると評判になり、
赤い鳥居を奉納する習慣が生まれ、
現在の千本鳥居が形成されたようです。
慶応4年12月26日に復官の為、
大宰府から伏見に到着した五卿は、
薩摩藩伏見藩邸に宿泊し、
翌27日早朝に御所へ向けて出発。
その道中で伏見稲荷大社に参拝し、
小休した後に衣冠を改め、
御所へ向かって出発したとされます。
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