昭和30年台まで鵺塚と秘塚という古墳が、
左京区岡崎(平安神宮辺り)にあったようで、
これが陵墓参考地となっていました。
しかし都市計画により移葬されてしまい、
現在は発掘された出土遺物が、
九条陵の参道脇に埋納されています。
「鵺塚 秘塚出土遺物埋納所」。
左側が鵺塚の遺物埋納所で、
右側が秘塚の遺物埋納所。
鵺塚の被葬候補者は後高倉天皇(守貞親王)。
後高倉天皇は追号天皇であり、
歴代天皇には数えません。
86代後堀河天皇の父として院政を敷き、
崩御後に後高倉院の院号を贈られました。
秘塚の被葬候補者は利子内親王で、
守貞親王(後高倉天皇)の王女。
斎宮として伊勢に赴いており、
後堀河天皇の退位で斎宮を退きますが、
甥の四条天皇の准母を務めています。
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