大津市役所の真裏にある長等山前陵。
これは39代弘文天皇の御陵ですが、
弘文天皇は明治時代まで天皇とは認められず、
皇太子として記録されていましたが、
江戸時代より大友皇子即位説が支持された為、
明治3年に明治政府より追諡されました。
「長等山前陵」。
市役所の裏手にありますが、
北側から回り込まないと行けません。
弘文天皇は38代天智天皇の第一皇子で、
天智天皇は弟大海人皇子を皇太子としますが、
実子の大友皇子(弘文天皇)を皇太子に変更。
大海人皇子も大友皇子を皇太子として推挙し、
自らは出家して吉野に下りました。
しかし天智天皇の崩御後、
大海人皇子は壬申の乱を起こし、
弘文天皇のいる近江宮へ向けて兵を侵攻。
瀬田橋の戦いで最後の激戦が行われ、
敗北した弘文天皇は首を吊り崩御しています。
天智天皇が遷都した近江宮でしたが、
勝利した大海人皇子が天武天皇として即位し、
都を飛鳥に戻した事により廃都。
飛鳥浄御原宮に遷都されて、
次代の41代持統天皇まで続いきました。
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