長州藩は幕府が発令した異国船打払令を受け、
北浦海岸に多くの台場を建設しましたが、
この[泊ヶ鼻台場]もそのひとつでした。
室津は室のように静かな港という意味で、
古来より漁村として栄えていました。
元寇では元の使者が室津で捕らえられ、
鎌倉に送られたとされます。
吉田松陰は[廻浦紀略]で北浦海岸を巡視中、
船上から室津を眺めました。
室津浜周辺(泊ヶ鼻の場所)
「湊祭祀遺跡」。
ヨットハーバーを越えて遊歩道を進むと、
泊ヶ鼻と呼ばれる小さな岬があり、
航海安全を祈る祭祀が執り行われていました。
土師器や須恵器の破片、古銭が発掘され、
ここで古墳時代から近代まで連綿と、
祭祀が行われてきたようです。
「泊ヶ鼻台場跡」。
湊祭祀遺跡のある場所から登るとあります。
台場跡とはいえ礎石の一部と思われる石が、
そこらに点在して残されている程度。
吉田松陰の[廻浦紀略]では、
[室津之台場]と記されています。
「泊ヶ鼻台場跡」。
吉田松陰の[廻浦紀略]では、
青井之鼻や甲山の台場も記されています。
泊ヶ鼻台場も甲山にあるのですが、
室津之台場と別に甲山之台場と記されており、
別の場所にも台場があったと推測できますが、
今では行く事が困難です。
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