下関市豊北町 土井ヶ浜の鬼の松

夏になると海水浴客でにぎわう土井ヶ浜
美しい白い砂浜が有名で、
わざわざ他県からも泳ぎに来るほどです。

元寇では蒙古の大軍が押し寄せており、
所々で色々な伝承があったりしますが、
蒙古兵を埋葬したとされる場所もあり、
塚印に3本の松が植えられたという。
その3本のうち1本は枯れてしまい、
2本が残っていたようですが、
枯れたその松の枝を焚くと、
火粉が散り大風になる言い伝えがあり、
残った2本の松は「鬼の松」と呼ばれ、
明治期まで巨木として立っていました。

吉田松陰もこの「鬼の松」を見たことが、
廻浦紀略」にも記されており、
当時は有名な巨木だったようです。
・・が、日清戦争の際に自ら火を発し、
燃え上がって焼失してしまったという。
これを人々は日本勝利の吉報と考えました。
ポジティブですね。

その「鬼の松」が立っていたのは、
現在の「忠魂碑の丘」という場所らしい。

土井ヶ浜周辺(忠魂碑の丘の場所)


史跡 土井ヶ浜遺跡」。
土井ケ浜近くの砂地の丘にある遺跡で、
弥生時代前期に営まれた集団墓地。
発掘調査で300体余りの人骨が発見され、
弥生式土器等も出土しています。
15本の石鏃が打ち込まれた「英雄」や、
鵜を抱く女」もここで発見されました。


忠魂碑の丘」。
遺跡の奥側(国道側)にある忠魂碑の丘
この丘に鬼の松があったということですが、
もちろん焼失したので現在はありません。


丘の頂上には名のとおり忠魂碑があり、
祠のようなものも建てられています。

元長州藩士近藤清石は明治35年に訪れ、
松を焼けて枯ながら立てりと記しており、
焼た後もまだ残っていた様子が窺えますが、
その後の整備で撤去されたのでしょう。

松陰は「廻浦紀略」に
岡林ヲ過キ 鬼ノ松ヲ見
 此昔時元寇ヲ鏖セシ時ノ京観ト云
と記し、
「鬼の松」を見学した事に触れており、
その後「神功皇后ノ祠(神功皇后神社)」で、
蒙古の古い刀剣を見学しています。

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