水原は江戸初期まで新発田藩領でしたが、
延享3年(1746)に幕府の天領となり、
水原代官所が置かれました。
幕府は米の安定確保できる地域や、
交通の要所を天領としており、
水原はその両方を備えていたようです。
「水原代官所表門」、
「水原城館 水原代官所跡」碑。
水原代官所は平成7年に復元されており、
内部を見学することができます。
ここは元々水原城館があった場所でした。
「杉原常陸介碑」。
水原城の最後の城主水原親憲の碑。
中央の碑は杉原となっていますが、
これは間違いではありません。
水原親憲は上杉景勝に仕えて、
上杉家の多くの戦に参加していますが、
会津移封に伴い水原城を去りました。
親憲が大坂冬の陣で戦功を挙げた際には、
徳川秀忠より感状を受けていますが、
その宛名が間違って杉原となっており、
これに気付きながら指摘せずに拝領。
以後は杉原常陸介を名乗ったとされます。
「ふるさと農業歴史資料館」。
隣接する資料館で農具や民具などを展示。
ここでチケットを買います。
復元から20年以上経過していますので、
良い感じの色合いとなっています。
代官所内部の[御用場]及び[訴所]。
人形で当時の様子が再現されています。
村役人が訴訟している様子。
慶応4年1月。老中稲葉正邦により、
水原及び出雲崎の両代官所が、
当分の間会津藩預りとすることが決定され、
3月に萱野右兵衛が水原奉行に着任。
しかし7月の新政府軍侵攻により、
駐屯の会津藩兵150名は退却しました。
数千両が持出されたとされています。
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