国分寺は聖武天皇が国家鎮護の為に、
国司や郡司に詔を発して建立させた寺院。
時代が過ぎて律令体制が弛緩してくると、
官の援助を受けられずに、
多くの国分寺は荒廃しましたが、
独自に宗派や性質を変えた例も多くあり、
現在もまだ存続し続ける国分寺もあります。
出羽国分寺は別所にあったようですが、
具体的な場所は不明で、
庄内や秋田にあったとされています。
伝承によれば平安末期から鎌倉初期に、
出羽国府が山形に移転したとされ、
その際に国分寺が移ってきたという。
江戸時代には徳川家の庇護を受け、
寛永寺直末寺院となり、
天台宗触頭として末寺23ヵ寺を擁しました。
「出羽国分寺薬師堂」。
本尊は薬師如来像。
明治時代以降は庇護を得られず、
その存続が困難となり、
隣接する柏山寺の管理下に入っています。
当時の薬師堂は明治44年の大火で焼失。
宝幢寺の本堂を移築したのが現在の薬師堂。
「宮城浩蔵顕彰碑」。
境内にある明治大学創始者宮城浩蔵の碑。
天童藩の藩医武田良祐の次男として生まれ、
同藩士宮城瓏治の養子となって家督を相続。
維新後に箕作麟祥の共学社に入門し、
大学南校(現東京大学)に入学しました。
その後は司法省明法寮を卒業。
渡仏してパリ大学に入学。
リヨン大学法学部に転学したようで、
法学士号を取得しました。
帰国して大審院検事となっており、
岸本辰雄や矢代操と共に、
明治法律学校を創設し、
これが現在の明治大学となっています。
「戊辰薩藩戦死者墓」。
戊辰戦争の薩摩藩10名の合葬墓で、
この様な墓は東北地方に数ヶ所あります。
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