上山は温泉宿場町として古くから栄え、
領主の最上家はお家騒動で改易されて、
能見松平家が4万石で入封。
次いで蒲生忠知、土岐頼行、
金森頼時と領主は代わり、
藤井松平宗家の松平信通が入って以降、
廃藩置県まで10代続いでいます。
上山城は南北朝時代に上山満長が築城し、
一時伊達家に攻略された後、
上山(武衛)家が取り戻して3代続きますが、
家臣の里見民部の裏切りで落城。
上山城は最上家の支城となりました。
関ヶ原の前哨戦である慶長出羽合戦では、
直江兼続が大軍で上山城を攻めますが、
里見は僅か500名でこれを退けています。
「上山市立上山城(模擬天守)」。
二ノ丸跡に建てられた望楼型の模擬天守。
内部は郷土資料館となっています。
上山城は金森頼時の入封時に廃城。
破棄前は立派な近世城郭だったようで、
羽州の名城として知られていたという。
「沢庵和上と上山藩主・土岐頼行」。
模擬天守の傍らにある碑。
上中下三字説。
頼行曰く
「政について心得べきは何か」
師曰く
「政は「上・中・下」なり。下は領民なり。
上は為政者なり。上方ばかり、下方ばかり
見ていては不可。上下の意思の疎通なり。
上の字を返せば下の字となる。
下の字を返せば上に字となる。
上下は体なり。
上と下を取り結ぶものが中なり。
中は、口に上下のたて線を貫く。
言葉で意思が通ひるなり」
沢庵宗彭は
「為政者と領民の意思の疎通が大切」
と説いています。
土岐頼行は流罪となった沢庵を預かり、
これに師事して厚遇しました。
模擬天守のある二ノ丸跡北東側月岡公園に、
旅行家イザベラ・バードの碑があります。
「イザベラ・バート上山称賛の丘」。
明治11年。バードは横浜を出発。
通訳一人と共に蝦夷を目指しました。
あえて太平洋側を通らずに新潟県に入り、
険しい峠を越えて山形県に入ります。
米沢をエデンの園と表した後に上山に入り、
宿泊した温泉宿を好意的に語りました。
模擬天守の北西側が本丸跡。
現在は月岡神社の境内となっています。
「月岡神社」。
松平信通が上山藩に入封した際、
本丸内に東照宮を建立しましたが、
これに藩祖松平利長と次代松平信一を合祀。
廃藩置県後に東照宮は東京に遷座され、
藩祖利長と信一の神霊は日枝神社に奉遷。
後の明治11年に本丸跡に社殿が建立され、
利長と信一の神霊を再び遷座して祀り、
産土の守護神となっています。
「金子得處頌徳碑」。
上山藩家老金子与三郎清邦の頌徳碑。
清河八郎や雲井龍雄らと親交があり、
後に家老に任じられて藩政改革に従事。
上山藩は庄内藩などと共に、
賊徒を匿う薩摩藩邸を襲撃しますが、
その際に金子が藩兵を指揮し、
負傷して襲撃の翌日に死去しました。
「海國男子天野傳君碑」。
「海国男子」という興味をそそられる碑。
天野傳という人物がよくわかりません。
上山市に問い合わせてみると、
明治33年に遭難した商船学校の練習船で、
行方不明となった練習生とのことで、
商船学校の同窓会が建立したとされますが、
詳細は不明との事。
上山藩士であった天野傳兵衛か、
天野傳次郎の子孫だとされるとか。
慶応3年9月、
9代松平信庸は江戸市中取締を命じられ、
諸藩と共にこれに当たりました。
大政奉還後に江戸の町内外で騒乱が多発し、
賊徒が薩摩藩邸に逃げ込んている事が発覚。
老中稲葉正邦は賊徒の捕縛を決定し、
庄内藩に強硬策を命じます。
庄内藩は討ち入りは必然と判断し、
諸藩との共同を希望してこれが認められ、
鯖江藩、岩槻藩と共に上山藩も参加。
上山藩は江戸在勤の藩兵を出動させました。
庄内藩士安倍藤蔵が薩摩藩と交渉しますが、
薩摩藩留守役篠崎彦十郎はこれを拒否。
これを機に藩邸に一斉砲撃が開始されます。
約3時間の戦闘の末に薩摩藩邸は焼失し、
浪人を含む薩摩勢64人が討死。
捕縛者は112人に及びました。
上山藩兵も9名の戦死者と出しています。
上山藩戦死者は、
師岡弥三郎、成橋十内、鈴木角助、
小川栄太郎、柏倉嘉傳治、早坂助市、
渡邊藤五郎、瀧口俊作、
そして上記の家老金子与三郎です。
戊辰戦争では当初庄内藩と戦っていますが、
奥羽越列藩同盟が締結されるとこれに参加。
同盟諸藩救出の為に越後方面、秋田方面、
白河方面に出動。
各地で新政府軍と戦いますが、
9月15日に降伏し庄内藩と戦いました。
松平姓改称の面白い逸話。
新政府は徳川慶喜を朝敵とした際に、
松平姓を賜った諸家に対し、
本姓に復するよう布告しました。
藩主信庸はこれに従い「藤井信庸」と改称。
ところが藤井松平家は賜姓ではなく、
元々松平姓で碧海郡の藤井を領していた為、
藤井松平家と称したもので本姓でした。
これに気が付いた信庸は取り消しを求め、
信庸は松平姓に戻しています。
【上山藩】
藩庁:上山城
藩主家:藤井松平宗家
分類:3万石、譜代大名
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