愛知県犬山市 臨渓院/成瀬家墓所

臨渓院臨済宗の古刹瑞泉寺の塔頭で、
文明14年(1482)に創建されたという。
瑞泉寺には24院の塔頭があったとされ、
臨渓院もそのひとつでしたが、
織田信長犬山城攻めの際に焼失し、
後に成瀬家2代当主成瀬正虎によって再建。
以後は成瀬家の菩提寺となっています。


臨渓院」。
名鉄犬山遊園駅東側の白山平の麓には、
瑞泉寺やその塔頭龍泉院などの寺院が並び、
臨渓院もその中にあります。
小さいながら手入れされた庭のあるお寺。

この臨渓院墓地に成瀬家の墓所があります。

成瀬家墓所」。
山肌を利用した墓地にある成瀬家の墓所。
初代から4代までの墓があり、
以降は名古屋平和公園にあるとのこと。


成瀬正成の墓」。
※碑銘は読めませんでした。
成瀬家初代当主成瀬正成の墓。
徳川家康に小姓時代より仕え、
幕府設立時には老中も務めていますが、
家康に乞われ尾張藩御附家老となりました。


乾龍院殿前布護一嶽宗無居士 神儀(右)」、
柏貞院殿前布護節功良忠居士(中)」、
随峯院殿實相轉幽居士(左)」。
2代当主成瀬正虎、3代当主成瀬正親
4代当主成瀬正幸の墓。
生憎の逆光で良い写真が撮れません。
2代正虎は初代正成の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を継ぎました。
尾張藩2代徳川光友御目見えの際には、
その付添役を務めています。
3代正親は2代正虎の長男で、
父の隠居に伴い家督を相続。
父が光友からの隠居料を固辞した為、
それが正親に与えられました。
これにより成瀬家は3万5000石を領し、
藩内で最大の石高を持つに至ります。
4代正幸も3代正親の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
成瀬家は順調に後継が引き継がれますが、
最後の9代成瀬正肥のみ婿養子でした。

この成瀬家当主の墓所を守るように、
成瀬家家臣本多彦三郎の墓があります。

観岳本多雪堂之墓(右)」。
成瀬家家臣本多彦三郎の墓。
小納戸頭取御番所頭納戸役等を勤め、
八木雕らと共に家中を勤皇に統一。
犬山藩が立藩すると権大参事に任命され、
軍務総教学校総教なども勤めました。
明治17年に死去。

法号は[大居士]ではなく[居士]。
大名の戒名・法号は[大居士]が多く、
[居士]は初めて見たかもです。

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