愛知県犬山市 犬山城①

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犬山城は全国12棟しかない現存天守のひとつで、
さらに5つしかない国宝天守のひとつ。
しかも近年、最古の天守とされた丸岡城天守が、
寛永5年(1628)の建造と判明した為、
犬山城の天守が最古の天守となっています。
※天文6年(1537年)又は慶長6年(1601年)。


木曽川と犬山城」。
犬山城は応仁の乱時に織田広近が築いた砦跡に、
織田信康が城を築いた事に始まります。
しかし信康の子織田信清織田信長に逆らった為、
信清は信長に追われて甲斐の武田家へ逃亡。
犬山城は池田恒興織田勝長が城主を勤めます。

本能寺の変後は織田信雄の支城となりますが、
小牧長久手の戦いで池田恒興によって奪取され、
羽柴秀吉の本陣となりました。
その後、一時信雄に返却されましたが、
信雄は秀吉の命に背いて改易された為、
豊臣秀次に与えられて実父の三好吉房が城代となります。
しかし秀次は秀吉によって切腹させられ、
犬山城は秀吉側近の石川貞清に与えられましたが、
貞清は後の関ケ原の戦い西軍に与して敗北。
戦後、小笠原吉次、 平岩親吉に与えられた後、
成瀬正成に与えられ、成瀬家の居城となっています。

正成は家康に乞われて尾張藩御附家老となり、
以後成瀬家が城主として9代続きました。

犬山城前広場」。
犬山城の大手口跡で「国宝 犬山城」碑があり、
他に碑が2つと胸像が建てられています。


薬學博士下山先生像」。
犬山出身の下山順一郎の胸像。
藩校敬道館の助教であった父に学び、
犬山藩の貢進生に選ばれ大学南校に入学。
第一大学区医学校製薬学科に進学し、
第1回生として首席で卒業しています。
明治16年にストラスブルク大学留学し、
帰国後に帝国大学医科大学の生薬学講座初代教授に就任。
以後、東京薬剤師会初代会頭、私立薬学校初代校長、
フィラデルフィア薬科大学名誉教授などを歴任し、
明治32年に薬学博士の第1号となり、
日本薬学界の発展に大きく貢献しました。


寳暦治水薩摩義士之碑」。
濃尾平野を流れる木曽川長良川揖斐川の三川は、
度々洪水を起こしていましたが、
この対策として幕府薩摩藩普請工事を命じます。
幕府の指揮の下、薩摩藩が資金を調達し、
人足の動員や資材の手配も行うというもので、
明らかに薩摩藩の力を弱める為のものでした。
これに反発した薩摩藩士らは幕府への反発を極めますが、
家老の平田靱負はこれを抑えて工事を引き受けます。
平田は工事の総奉行として着工に入りますが、
職人等の専門職を雇う事は禁じられ、
経験少ない地元民のみを割高な賃金で雇う事を命じられ、
水害や赤痢も重なり工事は難航。
これに抗議して薩摩藩士の自害が相次ぎ、
最終的に51人が自害した他、
過酷な労働と栄養不足で33人が病死しました。
治水工事は着工から1年3ヶ月で完成しますが、
薩摩藩は40万両の負債を抱え、
この責任を取って平田も自害したとされます。
※病死説も。


故中川清蔵主之碑」。
小牧長久手の戦いで犬山城の留守を守った中川清の碑。
当時の犬山城は織田信雄家臣中川定成が城主で、
伊勢に出陣していた定成は、
伯父で龍泉院三世であった清に留守を任せますが、
突如として池田恒興が犬山城を急襲。
清は僅かな守備兵と共に防戦しますが討死し、
犬山城は恒興に奪取されています。


犬山神社」。
犬山城前広場の向かいにある神社。
犬山城主成瀬家の歴代を祀る他、
戊辰戦争以降の戦没者も合祀されています。
ここはかつて犬山城の西御殿があった場所。


松之丸跡」。
松之丸御殿のあった松之丸跡は現在、
三光稲荷神社の境内及び、
針鋼神社の鳥居が建てられています。
松之丸御殿は尾張藩主の犬山御成の際の饗応に利用され、
これに合わせて修復や増築などが行われていました。

三光稲荷神社へ。

故犬山藩大参事高田君記念之碑」。
神社の幟に隠れてしまっている高田快晴の顕彰碑。
高田快晴は成瀬家の家老で、番頭執政を務め、
犬山藩が正式に藩と認められてからは大参事となり、
藩主となった成瀬正肥を補佐しました。
この碑は明治36年に正五位を贈られた事を記念し、
これを称えたもの。

こちらは針鋼神社側。

鈴木文拙先生記念之碑」。
成瀬家御番医師鈴木文拙の顕彰碑。
御番医鈴木家の分家嫡男として名古屋で生まれ、
維新後に犬山に移住して御番医を務める傍ら、
私塾を開いて子弟らの教育を行いました。
この碑は彼の遺徳を称えたもの。


木灘柴山先生之碑」。
柴山伴男の顕彰碑。
成瀬家家臣柴山甚五右衛門の三男として生まれ、
私塾を開いて子弟達の指導に尽くした他、
草偃学校校長、愛知県医学専門学校助教諭を務め、
教育者として渾身の努力を捧げました。
この碑はその遺徳を称えたもの。

他に加藤兼行という人物の碑もありますが、
どういう人物かわかりません。

石段を上がって拝殿へ。

三光稲荷神社拝殿」。
江戸時代は犬山城南西の三狐山に鎮座し、
織田信康以降の城主の庇護を受けており、
成瀬家が入封した後は、成瀬家の守護神とされます。
昭和39年に現在地に遷座しました。


銭洗稲荷神社」。
三光稲荷神社の末社で、この銭洗池でお金を洗うと、
何倍にもなって帰ってくるという。
他にも姫亀神社猿田彦神社などの境内社があります。
ハート型の絵馬が女性に人気との事。
たぶんウチのみよちゃんも好きと思う・・。

さて、次回はいよいよ天守へ。
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