幕末の彦根藩といえば、藩主で幕府大老の井伊直弼。
一時期の幕政を主導し、歴史を動かした主役であり、
尊攘派から見れば、弾圧を起こした悪党でもあります。
彼の評価は分かれるところですが、
僕の個人的な意見でいえば直弼は守旧派で、
幕府成立より続く譜代大名による政権維持を考え、
水戸や越前等の新勢力の台頭を恐れたのではないか?
実は外交問題や継嗣問題の是非は、
それほど重要ではなかったのではないか?
そんな気もしています。
こう書けば単なる派閥政治家のようですが、
これは徳川幕府にとって極めて重要な事で、
権威ある親藩大名や、武力ある外様大名ではなく、
譜代大名による合議制で運営されてきた幕府が、
権威や武力を背景とした新勢力の台頭を許せば、
幕府は根本から覆ってしまうわけです。
幕府の権威失墜にも繋がり、
極端に言えば将軍の入れ替えも可能。
幕府が幕府でなくなってしまう。
安政の大獄はそういった事から起こっており、
明らかに幕威を高らかにアピールしたものでした。
もちろん同じく幕府を非難する下々にも、
その矛先が向けられています。
しかしながら、これにより幕威は高まりますが、
反発も当然出てくる。
桜田門外の変はその対策が甘かったと言わざるを得ず、
これを回避出来れば、歴史は変わっていたでしょう。
結果論ですが、暗殺や失脚への備えを万全とし、
そのまま安政の大獄をあと何年か続け、
専門機関を設置して体制を強化。
隠密を諸藩に派遣して反幕勢力を調査し、
これに基づいて諸藩へ圧力を掛けて、
藩内反幕府勢力を弾圧させる事も可能かと。
そうして幕藩体制を再強化を図ったうえで、
諸外国に対抗する事も不可能ではなかったでしょう。
これはIFの世界の事なのでこれ位にしますが、
政権の不穏な時期においては、
時として強引なリーダーが必要であり、
それがそのまま維持されようが打倒されようが、
歴史は新しい方向に動いていく。
井伊直弼という人物は、その役目を果たしたわけです。
念願であった彦根城へ。
井伊直弼の故郷、現存天守、
そしてひこにゃんに会いに行ってきました。
「埋木舎」。
彦根城三ノ丸にあった簡素な武家屋敷で、
17歳から32歳までの15年間、
直弼が3百俵扶持の部屋住として過ごした場所。
訪問時はコロナの影響で閉館していました。
直弼は13代藩主井伊直中の十四男で、
直中の隠居後に生まれました。
兄弟は14代彦根藩主となった井伊直亮の他、
岡藩主中川久教、挙母藩主内藤政成、内藤政優、
多胡藩主松平勝権、延岡藩主内藤政義、
一門家老家を継いだ井伊中顕らがいましたが、
何れも然るべき家に養子に出されましたが、
直弼はタイミングが合わずにどこにも行けず、
不遇の15年を過ごしています。
直弼は弟の井伊直恭と共に、
延岡内藤家との養子縁組の為に江戸に出向きますが、
養子となったのは直恭(内藤政義に改名)の方で、
虚しく彦根に戻り、屋敷を埋木舎を名付けました。
この期間、のちの腹心長野主膳に国学を学び、
曹洞禅、儒学、洋学、書、絵、和歌を学び、
武術や茶の湯、焼物や能面成作も行っています。
「佐和口多聞櫓」。
彦根城には、国宝天守、重文5つが揃っています。
この佐和口多聞櫓も、重要文化財の現存遺構。
現在は車で通行出来るようになっており、
二ノ丸跡内には駐車場も完備されていました。
「馬屋」。
元禄時代築の馬屋で、これも重要文化財。
常に藩主専用の馬が十数頭繋がれていたとされ、
城域に残る馬屋としては、唯一のもの。
「表門橋」。
内堀を渡って表御殿へ繋がる橋。
橋の向こう側は枡形になっています。
この橋は再建されたもの。
「彦根城博物館(表御殿跡)」。
藩政を司っていた表御殿は、昭和62年に復元され、
博物館として藩政時代の調度品・武具などを展示。
博物館脇より「表門山道」を登って丘陵部へ。
本丸への登城には大堀切を通ります。
「廊下橋」。
本丸と鐘ノ丸を分ける大堀切に掛けられた橋。
籠城の際は簡単に橋を落とせる仕組みになっています。
「大手山道」。
廊下橋より西側の大手門跡へ続く直線の坂。
今回は大手門跡ではなく表門跡より登城しましたので、
大手門跡には行っていません。
大手門と表門はどちらが正門なんでしょ?
「鐘ノ丸跡」。
築城当初、時報鐘がここに置かれた為、
鐘ノ丸と呼ばれたようですが、
ここからの鐘の音は城下北隅に聞こえないので、
鐘を牙城楼門外に移されたという。
「天秤櫓」。
左右に二階櫓を配した事により、
天秤のように見えるので天秤櫓と呼ばれ、
大手山道と表門山道が合流する要の位置に築かれました。
この櫓を過ぎれば本丸への登城道です。
つづく。
①/②/③
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