群馬県高崎市 岩鼻代官所陣屋跡

幕府の本拠関東八州の広大な直轄領は、
相模国を除いて2つに分けられ、
常陸国下総国上総国安房国は、
布佐代官所が管轄、
上野国下野国武蔵国は、
岩鼻代官所が管轄、
双方に関東在方掛が置かれました。

関東在方掛は役料2000石。
格式は勘定奉行並みであったという。


岩鼻代官所配置図(現地案内板より)」。
現在の岩鼻代官所陣屋跡は、
日本化学株式会社の社員寮の敷地。
陣屋内にあった天神山周辺が見学できます。


天神山」。
山というより小さな丘陵のようですが、
それもその筈この山は古墳だったようです。
陣屋時代には物見台として使用され、
小さな天満宮が建てられていました。


天満宮」。
祭神は天神菅原道真なのですが、
天神が祀られたのかはわかりません。
稲荷社が建てられる事が多い。
学問の神として知られますが、
天神が稲妻を扱った事から、
農業の神としても信仰されていましたので、
領内の豊作を祈って祀ったのでしょうか?


案内板の配置図を見ると、
建屋は社員寮辺りにあった模様。
私有地の為に遠巻きに撮影しましたが、
整地されて遺構は無いと思います。

明治維新後に代官所は新政府に摂取され、
岩鼻県が設置されて担当していた幕府領と、
上野国、武蔵国内の旗本領の一部を管轄。
知県事には大音龍太郎が任命されますが、
大音は些細な罪でも躊躇なく斬首し、
雑草を生やしただけで斬首にするなど、
首切り龍太郎」と恐れられました。
新政府もこれを捨て置けず、
大音は半年で更迭されています。

明治3年に陣屋は火災で焼失。
岩鼻県は群馬県に統合されました。

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