東京駅八重洲北口を出て、
丸の内トラストシティ東側の歩道に、
北町奉行所跡の説明板があります。
高層ビルの谷間。
興味の無い人は毎日通っていても、
全く気が付かないかもしれません。
「北町奉行所跡」説明板。
北町奉行所は南町奉行所と共に、
江戸町方の司法・行政を管轄していました。
人員は、与力25名、同心100名程で、
町方の治安維持、司法、行政、防災を行い、
民事訴訟は月番制で受理を行い、
月番でない月に処理を行っていたという。
また書物、酒、廻船、材木等の商業案件は、
北町奉行が担当しました。
北町奉行といえば遠山金四郎景元。
桜吹雪の名奉行として知られていますが、
実際の刺青は桜の花びら1枚だったとも、
背中ではなく片腕だけだったとも、
桜ではなく女の生首だったともされ、
刺青の柄には諸説あるようですが、
若い頃に放蕩生活を送っていたので、
若気の至りで刺青していたとされています。
遊び人の金さんとして街を徘徊し、
人情厚い名裁きをしたのは事実ではなく、
天保の改革で水野忠邦や鳥居耀蔵と対立し、
倹約令や風俗取締りに反対した為、
庶民、特に芸能関係者に人気で、
歌舞伎等の演目の主人公になったという。
遠山が北町奉行だった期間は3年間で、
対立する水野や鳥居による策略によって、
奉行職より高位の大目付に据えられました。
地位は高いが閑職の大目付に押しやる事で、
遠山の妨害を阻止したようです。
後に水野らが失脚すると南町奉行に就任。
老中阿部正弘の赦律の制定に関わりました。
最後の北町奉行は石川利政。
すぐに町奉行制度は廃止となり、
石川は大目付に据えられました。
・・が、石川は謎の切腹。
その理由は諸説あり、
幕府の軟弱を批判してのものとも、
内通の潔白を証明する為ともされています。
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