江戸の町の司法・行政を管轄していたのが町奉行で、
北町奉行、南町奉行が月番で、業務を行っていました。
つまり、庶民が何か訴え事を申告しようと思ったら、
その月の月番の奉行所に行かなければ、
訴訟を受理してもらえないということ。
今みたいに最寄の・・ってわけにはいかなかった様です。
もちろん月番でない月は遊んでるというわけではなく、
受理された訴訟の処理や刑事事件の捜査が行われており、
また北町奉行、南町奉行に割り当てられている商業案件は、
月番に関係なく常に行われていました。
※呉服・木綿・薬種問屋の案件は南町奉行所、
書物・酒・廻船・材木問屋の案件は北町奉行所。
先日は、北町奉行所跡を訪問しましたが(記事はこちら)、
今回は南町奉行所を訪問してみようとJR有楽町駅を下車。
JR有楽町駅の中央口に南町奉行所の碑があるらしい。
JR有楽町駅(南町奉行所跡の場所)
南町奉行といえば、やはり大岡越前でしょう。
20年近く南町奉行に在職した名奉行として知られ、
「大岡裁き」という言葉も生まれています。
彼は南町奉行を務めた後に寺社奉行に転任しますが、
後に加増されて大名となり、西大平藩を立藩しました。
また、わずかな期間ですが、
小栗忠順も南町奉行に就任しています。
中央口を出て有楽町マルイ前の地下街への入口裏に、
南町奉行所の跡碑と石組みがあります・・・が・・。
なんだかイベントをやっていた様子。
既に終了していたようで、後片付けしていましたが、
イベントに参加していた移動販売車が止まっていて、
南町奉行所の石組みが見えない・・。
「南町奉行所跡」碑。
石のような塗装がされていますが、
これ、放水ホースや電気配線を収納する筐体じゃない?
なんというかとてもチープな感じが・・・
いや、東京ならではの合理主義といった方が良いかな?
石碑なんて何の役にも立たないし、
それがあった事を示すだけならこんなんで良いのかもね。
とはいえ、どうしてもハリボテ感は否めません。
しかも、前にゴミが置かれてしまっています。
草葉の陰で大岡越前も泣いてるかもしれません。
ここはもう一度来て、ちゃんとした写真取らなければ。
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