桂厳寺は成羽山崎家の菩提寺として、
成羽に入封した山崎豊治によって創建され、
歴代領主の菩提寺として隆盛しました。
「桂厳寺」。
表参道は山中の急な石段なのですが、
それゆえにあまり使用はされていない模様。
今回は車にて裏手の車道から訪問しました。
初代豊治の掛軸が所蔵されているという。
「山崎家墓所」。
本堂北側にある歴代墓所。
思ったよりも狭いスペースですが、
墓石19基、石灯籠63塔、手水鉢20基、
供養塔5基が並べられています。
整備されて纏められた雰囲気がないので、
始めからこの状態なのでしょう。
初代豊治の墓は見つけられずでしたが、
五輪塔のどれかではないかとは思います。
「芳春院殿光岳瑞馨大居士 源治正」。
11代当主及び初代藩主山崎治正の墓。
交代寄合平野長興の次男として生まれ、
外伯父の10代山崎義柄の養子となり、
養父の隠居に伴い家督を相続。
新政府が樹立するといち早く恭順した為、
高直しが認められて大名となりました。
明治2年に嫡男山崎治祇に家督を譲り、
明治9年に死去。
「大光院殿哲文懿徳大居士
正四位 源治祇」。
12代当主にして2代藩主山崎治祇の墓。
治祇は父の隠居に伴い家督を継ぎますが、
版籍奉還により藩知事となっています。
明治4年4月に弟に家督を譲って隠居。
明治42年、死去。
「韶徳院殿雪巖玄道大居士
従二位男爵 源治敏」。
13代当主及び知藩事山崎治敏の墓。
治敏は兄治祇の隠居で藩主に就任しますが、
間もなく廃藩置県となって免官。
昭和14年に死去しています。
次代山崎治男の墓は墓所の入口。
その後の当主の墓も建てられており、
もう殆どスペースはありませんが、
現在も使用している墓所のようですね。
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成羽藩山崎家の陣屋跡。
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