安政の地震と現代の地震①

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熊本地震は未だ余震が続いています。
下関でも本震の時に震度3程の揺れがあり、
僕の弟は震源近くに出張中でしたが、
幸運にも難を逃れて無事でした。

僕自身阪神淡路大震災の際に大阪におり、
多少地震の恐ろしさを経験しております。
カラオケ店でバイト中で、
閉店作業中に大きな揺れが起こり、
店内がめちゃくちゃになりました。
当時はネットなど無い時代で、
何が起こったのかわからず、
他のバイト仲間とラジオで情報を聞いて、
大変な事になっている事を知ります。
当時は携帯電話もなく、
彼女の安否を確認するのも困難でした。

さて、幕末のお話ですが、
安政期に多くの地震が起こっています。
嘉永7年6月15日 伊賀上野地震 M7 1/4
嘉永7年11月4日 安政東海地震 M8.4
嘉永7年11月5日 安政南海地震 M8.4
嘉永7年12月26日 豊予海峡地震 M7.4
安政2年2月1日 飛騨地震 M6.8
安政2年10月2日 安政江戸地震 M7.4
安政3年7月23日 安政八戸沖地震 M6.9~M7.8
安政5年2月26日 飛越地震 M7.0~M7.1
※小規模地震除く。
いずれも甚大な被害が出ております。

地震 雷 火事 親父」と云われるように、
昔から怖いものの筆頭の地震。
今も昔も人々の恐怖の対象でした。

とはいえ安政東海及び南海地震や、
安政江戸地震など、
相当の被害に遭っておりますが、
何故かそれほど幕末史に出てこない。
これはどうしたことか?

もちろん全くではありません。
安政江戸地震では藤田東湖など、
著名な人物が被害に遭い、
安政東海地震による津波では、
露軍艦ディアナ号が沈没したりしています。

安政江戸地震を例に挙げると、
倒壊家屋143461724棟、
倒壊土蔵1404軒、死者4293人、
負傷者2759人(江戸町方 幕府調べ)と、
恐ろしい被害でした。
ですが以降は地震の話題が見られない・。
現代の我々の感覚において、
地震の話題が無いなんて考えられませんね。

話題にのぼらないということは、
速やかな復興が成ったという事でしょう。
現在と違い建屋はオール木造。
壊れるのも簡単ですが造るのも簡単です。
町火消の仕事の一番が、
家屋を壊す事だった事からも、
当時の庶民の家屋が簡単に壊れ、
簡単に造る事ができる事が伺えます。

挙句に地震を歓迎する庶民も居たのです。
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