王司上町上町町民館の敷地に、
漢方医永富独嘯庵の顕彰碑があります。
「永富獨嘯庵先生顕彰碑」。
富永独嘯庵は享保17年(1732)に、
王司宇部村の庄屋勝原家の三男に生まれます。
幼少時より神童と称されたようで、
清末藩主を言い負かした逸話があるという。
※この逸話の詳細は不明。
12歳で南部町の医者富永友庵の養子となり、
萩や京都で医学を学んだ後に大坂で開業し、
吉益東洞と並ぶ程の人気の医者となりました。
※吉益東洞は当時を代表する漢方医。
医学の他にも経済学や天文学等、
様々な学問を学んで医術に取り入れており、
長崎に遊学中に製糖法を学び、
帰坂の際に長府藩に製糖法をもたらします。
安岡、綾羅木等でサトウキビを栽培し、
良質な白砂糖の生産に成功しており、
幕府の嫌疑を掛けられる程となったという。
独嘯庵は34歳で大坂で没していますが、
大正5年に正四位を賜わっており、
その業績を賞されています。
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