下関市新地町 小田海僊宅址

高杉東行終焉之地」にほど近く。
新地の旧道筋に石碑があるのを発見しました。

小田海僊という人物の旧宅跡らしいのですが、
誰だろうと調べたら南画家らしい。


小田海僊山水図」。
こういう絵を描いていた画家らしい。

没年は文久2年・・幕末の人物じゃん!ということで、
調べてご紹介することにしました。


下関市新地町周辺(小田海僊宅址)。


小田海僊宅址」。
実は近くに宅配寿司の「銀のさら」があって、
宅配して貰わずに取りに行くと少し安くなるので、
取りに行った際に、たまたま見つけたのです。

小田海僊は富海の廻船業河内屋の二男として生まれ、
新地町の染物屋小田仙右衛門の養子になったとされます。
養子ではなく実子の可能性もあるとの事。
22歳の時に永富独嘯庵を頼って京都に登り、
四条派の松村呉春に師事。
長州藩から百石の俸禄を貰って江戸藩邸の御用絵師となり、
嘉永の頃には、京都郊外に草庵を建て絵の製作に没頭します。
文久2年、78歳で死去。

なるほど。実家の染物屋小田仙右衛門の家というわけですね。

■関連記事■
下関市新地町 高杉東行終焉之地
 近くにある高杉晋作の終焉の地。
五百羅漢図展
  幕末の絵師狩野一信が描いた100幅の大作。
下関市長府 覚苑寺
  近代日本画の父狩野芳崖の銅像があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。