「高杉東行終焉之地」のほど近く、
新地の旧道筋に石碑があるのを発見しました。
小田海僊という人物の旧宅跡らしいのですが、
誰だろうと調べたら南画家らしい。
「小田海僊山水図」。
こういう絵を描いていた画家らしい。
絵には詳しくありません。
没年は文久2年・・幕末の人物です。
下関市新地町周辺(小田海僊宅址)。
終焉之地と同じ通りです。
「小田海僊宅址」。
近くに宅配寿司の「銀のさら」があって、
宅配ではなく取りに行くと安くなるので、
取りに行った際にたまたま見つました。
小田海僊は富海の廻船業河内屋の二男に生まれ、
新地の染物屋小田仙右衛門の養子となります。
※養子ではなく実子の可能性も。
22歳の時に永富独嘯庵を頼って京都に登り、
四条派の絵師松村呉春に師事。
後に長州藩から百石で召し出され、
江戸藩邸の御用絵師となったという。
嘉永期には京都郊外に草庵を建てており、
晩年は絵の製作に没頭したようです。
文久2年、78歳で死去。
なるほど。
実家の染物屋小田仙右衛門宅というわけですね。
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