福岡県北九州市 徳力宿跡

徳力宿秋月街道の宿場町でしたが、
遺構は開発の為に完全に無くなっています。


モノレール徳力嵐山口駅」。
遺構が皆無な宿場町跡は多くありますが、
徳力宿は道そのものも更新されており、
実際の宿場の正確な位置も不明です。


小嵐山と紫川」。
徳力宿は完全に消失していますが、
秋月街道は紫川に沿って続き、
当時に近いカタチで残っています。
慶長7年(1602)に小倉藩藩主細川忠興は、
小倉城の大規模改修と城下整備に着手。
徳力の地を巡見した忠興は、
この辺りの風景が京都嵐山に似ていると、
嵐山からを取り寄せて、
この山を中心に植えさせました。
細川幽斎もこの地に遊び、
 豊国の嵐の山の麓川
  岩越す波はさくらなりけり

と詠んでおり、
後に小嵐山と呼ばれるようになっています。

■秋月街道の宿場町

■関連記事■
福岡県北九州市 呼野宿跡
 秋月街道の2番目の宿場町。
福岡県田川郡 採銅所宿跡
 秋月街道の3番目の宿場町
福岡県田川郡 香春宿跡
 秋月街道の4番目の宿場町。