青山霊園にある明石藩松平家の墓所。
明石藩松平家の歴代墓所は、
明石市の長寿院にあるようですが、
未だ訪問出来ていません。
長寿院は8代までの墓所となっていますが、
9代以降は青山霊園となっています。
「従三位松平慶憲之墓」。
9代藩主松平慶憲の墓。
7代松平直韶の長男に生まれますが、
11代将軍徳川家斉の二十六男周丸を、
養嗣子とするよう強要され、
長男ながら世嗣とはなっていません。
後に周丸は8代松平斉宣となり、
2万石の加増を受けて8万石となり、
更に10万石格になりました。
これによる格式の維持で財政は困窮。
斉宣は傍若な藩主だったようですが、
僅か4年で急死してしまい、
これにより慶憲が9代藩主となります。
※斉宣には暗殺説があります。
幕末期に外国船来航が頻繁となった為、
明石藩は領内海岸に砲台を設置。
ペリー来航の際には品川警備を務め、
翌年には神奈川警備も担当しました。
慶憲は親藩として幕府を補佐し、
長州征伐にも参加しており、
鳥羽伏見の戦いでも出陣しましたが、
遅参して戦闘は行わずに帰還。
福井藩の取り成しで山陽鎮撫使に恭順し、
新政府軍として姫路に向かっています。
戊辰戦争では北越戦争に参戦し、
79名の藩兵を派遣しました。
明治2年に隠居しており、
明治30年に死去しています。
「従四位松平直致
室 鎮子之墓」。
9代慶憲の長男として生まれ、
文久元年に元服しています。
父の隠居に伴い家督を相続し、
廃藩置県で免官となって東京に移住。
明治17年に父に先立って死去しました。
墓所は青山霊園1種イ9号10側。
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