兵庫県明石市 明石城跡①

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明石藩の藩主家は越前松平家の庶流で、
結城秀康の六男松平直良を祖とします。

福井藩越前松平宗家2代で直良の兄松平忠直は、
幕府への反発や乱行が目立った為、
将軍徳川秀忠から強制隠居を命じられました。
越前松平宗家は次兄の松平忠昌が継ぎますが、
※忠昌は高田藩25万石の藩主でしたが、
 宗家を継いだ為に、忠直の子松平光長が相続。

この際に忠昌は福井藩領のうち50万石を相続し、
残りは他の秀康の子や附家老に分けられています。

直良も木本2万5千石を与えられ、
木本藩を立藩して木ノ本城を藩庁としますが、
同じく旧福井藩領勝山を相続していた松平直基が、
大野藩に移った為、代わって勝山藩に加増転封。
後に直基が山形藩へ加増転封となった為、
大野藩に直良が移りました。

その後、直良の次代松平直明は明石藩に加増転封。
以後は、直良流越前松平家が明石藩主として続き、
廃藩置県まで支配しています。


史跡 明石城址」。
現在の明石城跡は、明石公園として整備されています。


中部幾次郎翁銅像」。
明石公園入口に建つ中部幾次郎の像。
林兼商店(現マルハニチロ林兼産業など)の創業者。
僕の住む下関市に大変ゆかりのある人物で、
明石から下関に拠点を移して、
大洋漁業の前身となる林兼商店を創立しました。
その系譜は現在のマルハニチロ、林兼産業、大東通商
横浜DeNAベイスターズなど。


中堀」。
明石城の中堀は、当時の状態で残っています。


三ノ丸跡」。
大手門跡の先は広大な広場で、かつての三ノ丸跡
築城当時の藩主住居である本丸御殿が焼失した後、
三ノ丸にあった藩主別邸が拡張されて御殿となり、
居屋敷曲輪として堀が設けられていました。
現在の球場となっているあたりが居屋敷曲輪で、
全く痕跡は残っていません。


武蔵の庭園」。
江戸時代初頭の明石藩主小笠原忠真は、
剣豪宮本武蔵を招き、城下町の整備や作庭をさせています。
武蔵は明石城内の山里曲輪にも、
御茶屋と庭園を築造したという記録があり、
これを記念して三ノ丸跡に「武蔵の庭園」を再現しています。


明石城のシンボルである「巽櫓」と「坤櫓」。
土塀で繋がった様は真に圧巻です。


東側の石段より本丸跡へ。
二つの三重櫓に目を奪われがちですが、
明石城跡は石垣も見どころ。
300m程直線に連なる石垣は壮大です。

つづく。
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