滋賀県彦根市 磨針峠

磨針峠鳥居本宿番場宿の間にある峠。
峠名はある青年僧が学半ばで道を諦め、
京からの帰郷の途中でこの峠を通り、
老婆が斧を研いで針を作る光景に出会い、
自らの怠惰に気付いて京に戻り、
修行に励んで高僧になったとされ、
この伝説に因んでいます。
一説には弘法大師空海がこの高僧とされ、
後にこの磨針峠を訪れた際には、
摺針神明宮栃餅を供えて、
 道はなほ学ぶることの難からむ
 斧を針とせし人もこそあれ

と詠んだとされています。


歌川広重 木曽海道六拾九次 鳥居本」。
広重は鳥居本を描く際、
宿場ではなくこの磨針峠を描きました。


望湖堂跡」。
峠にあった大きな茶屋の跡で、
訪れた旅人はここで絶景を楽しみながら、
するはり餅(栃餅)を楽しんだとされます。
望湖堂には大名や朝鮮通信使も立ち寄り、
茶屋ながら本陣の構えであったようで、
御小休御本陣を自称したという。
幕末には和宮も降嫁の際に利用しました。
この望湖堂は明治以降も現存しましたが、
平成3年に火災で焼失してしまい、
現在は民家が建てられています。


摺針神明宮」。
峠にある神明宮。
空海が栃餅を供えた神社で、
空海手植の杉(弘法杉)がありましたが、
昭和56年の記録的豪雪で倒壊。
現在は切株のみが残っています。


摺針神明宮の石段より琵琶湖を望む。
現在は埋め立てで湖岸が遠く、
それ程絶景ではありませんが、
当時はもっと近くに琵琶湖が望めました。


峠の東側は旧磨針村の集落。
古い家屋も残っています。

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