番場宿は中山道の62番目の宿場。
飛鳥時代以来の宿場であったとされ、
中山道の中では小さな宿場だったようで、
旅籠は僅か10軒程度だったという。
「歌川広重 木曽海道六拾九次之内 番場」。
米原市番場周辺。緑の線が街道筋で、
青い線は米原宿への連絡道。
青くぼかした辺りが宿場のあった場所。
「番場宿」碑。
番場宿は江戸時代を通じて彦根藩領。
江戸時代に米原湊が開港されると、
連絡道が整備されて往来が盛んとなり、
賑わいを魅せたとされます。
県道240号線の交差点より、
京都側方向へ散策。
「脇本陣跡(右)」、
「問屋場跡(左)」。
本陣、脇本陣、問屋場の場所には、
石標が建てられて場所が示されています。
双方共新しい民家。
「本陣跡」。
こちらも民家で本陣があった場所。
番場家の本陣を務めた家は、
調べてもわかりませんでした。
「問屋場跡(2軒とも)」。
番場宿には問屋場は6件あり、
全てに跡碑が設置されているようですが、
あと3つは見落としていたようです。
写真の手前の問屋場跡は、
明治天皇が行幸で休憩したとのこと。
「番場宿跡」。
宿場跡は住宅街で店舗は殆ど無し。
家屋も更新されているようで、
宿場時代の建物は皆無でした。
番場宿にはこの他にも、
聖徳太子建立の蓮華寺がありましたが、
参道が長くて行くのを断念。
後から行けばよかったと後悔しています。
番場宿は昭和初期の戯曲[瞼の母]で、
主人公番場の忠太郎の故郷に設定され、
一躍脚光を浴びたという。
瞼の母は古すぎてよく知りませんが、
同名の歌は親戚が歌っていた記憶が、
微かに残っています。
■中山道の宿場町
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番場宿と直通した北越街道の宿場。