宮崎県児湯郡 秋月墓地/高鍋藩秋月家墓所②

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つづき。

大龍寺跡の秋月墓地への参拝後、
安養寺跡にも参拝しましたが、
こちらは藩主の墓は無いので割愛し、
龍雲寺跡の秋月墓地へ向かいます。


秋月墓地(龍雲寺跡)」。
3つの秋月墓地は共に長い石段の上。
安養寺跡側から行くと、
その参道にある家に犬小屋があり、
襲いかかられそうな勢いで吠えられますが、
これを避けながら辿りつきました。


龍雲寺殿雄山俊英大居士」。
初代藩主秋月種長の墓。
秋月の戦国大名秋月種実の長男に生まれ、
父が豊臣秀吉に降伏して隠居した為、
秋月家の家督を相続しました。
その際に秋月から財部(高鍋)へ移封となり、
以後は朝鮮出兵等に出陣する等、
秀吉に従って功を挙げています。
関ヶ原の戦いでも西軍に属し、
諸将らと大垣城を守備していましたが、
弟の高橋元種相良頼房と共に、
熊谷直盛垣見一直木村由信らを殺害。
東軍に降伏して所領を安堵されました。


天澤院殿龍岳宗雲大居士」。
3代藩主秋月種信の墓。
2代秋月種春の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しました。
父の代より続く上方下方騒動終息の為、
藩を専横する白井一族を粛清しており、
長きにわたる騒動が集結。
30年の治世の後に隠居していますが、
彼の時代に地名が高鍋に変わっています。
※それまでは財部と呼ばれていた。


龍光院殿前長州大守英巌宗俊大居士」。
6代藩主秋月種美の墓。
5代種弘の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
藩士子弟らに文武を奨励して、
才のある者には積極的に遊学させ、
また優秀な人材を招くなど、
人事に関して実績があったという。
米沢藩9代上杉鷹山は種美の次男。


院殿前佐州大守真乗宗圓大居士」。
7代藩主秋月種茂の墓。
6代種美の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
前藩主と同様に人材の必要性を認識し、
藩校明倫堂を創設して子弟を教育。
この明倫堂は庶民にも開放され、
後に多くの人材を輩出する事となります。
また優秀な産婆大坂から呼び寄せたり、
子供手当を日本で初めて支給する等、
革新的な政策も数多く施行させ、
弟鷹山に劣らぬ名君ぶりを発揮。
28年の治世の後に隠居しますが、
実権はそのまま握り続け、
高鍋藩の繁栄に尽くしたという。

麓には名のある藩士らの墓もありますが、
時間の都合上今回は参拝出来ず。
またいつか訪問したいと思います。

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