光林寺には高鍋藩秋月家の墓所もあります。
左から
「龍光院殿前長州大守英巌宗俊大居士」、
「清観院殿前佐州大守眞乗宗円大居士」、
「泰雲院殿前城州大守實山宗眞大居士」、
「俊徳院殿前筑前大守寛道宗裕大居士」。
高鍋藩6代藩主秋月種美、7代秋月種茂、
8代秋月種徳、9代秋月種任の墓。
墓地の北東端に並べられてますが、
往時はもっと広い墓域だったと思われます。
6代種美は5代秋月種弘の長男に生まれ、
父種弘の隠居に伴い家督を相続。
文武の奨励、人材の育成などを行い、
名君であったとされる他、
後の米沢藩9代上杉鷹山の父でもあります。
7代種茂は6代種美の長男として生まれ、
種美の隠居に伴い家督を継ぎました。
父と同様に人材育成が重要と捉え、
藩校明倫堂は身分を問わず門戸を開き、
藩士子弟に限らす多くの人材を育成。
児童福祉や財政再建政策も行っています。
8代種徳は7代種茂の長男として生まれ、
父の隠居により家督を相続しますが、
病弱であったようで実権は種茂が持ち続け、
父に先立って死去しました。
9代種任は8代種徳の次男で、
父の死去により家督を相続しており、
36年の治世の後に隠居しています。
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高鍋藩秋月家の居城跡。
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6代種美の子上杉鷹山の墓所。