丸亀藩初代京極高和の正室養性院が、
光林寺の開基とされており、
墓地最奥には養性院らの墓があり、
丸亀藩京極家の江戸菩提寺となっています。
※他に文京区の龍光寺があります。
歴代藩主の墓所は滋賀県の清瀧寺ですが、
最後の藩主京極朗徹以降の当主は、
この光林寺に埋葬されています。
「京極家之墓」。
丸亀藩7代藩主京極朗徹及び、
以降の当主や妻、子女の墓。
朗徹は5代京極高中の甥京極高周の五男で、
6代京極高朗の婿養子となり、
高朗の隠居に伴って家督を相続しました。
倹約令、産業奨励などの藩政改革を行い、
禁裏造営を行った功積により、
孝明天皇より十体和歌の巻物を下賜。
隣藩の高松藩が朝敵となると、
土佐藩と共に追討に出兵しますが、
高松藩より恭順の仲介を依頼されて、
新政府にこれを取り次いでいます。
廃藩置県後は東京へ移住し、
明治15年に死去しました。
光林寺は多度津藩藩主の墓所だったようで、
初代京極高通、3代京極高文、
4代京極高賢が埋葬されたようですが、
墓地を探せどどこにもありません。
「京極家之墓」。
多度津藩6代藩主京極高典及び、
以降の当主や妻、子女の墓。
墓碑銘にも上記の藩主の名はありません。
高典は5代京極高琢の弟京極高宝の次男で、
高琢の養嗣子となって家督を相続。
幕末期は宗家と共に行動し、
高松藩への出兵も行っています。
廃藩後に東京へ移住していますが、
その道中で汽船温泉号の難破事故が発生。
家財や藩の記録が失われたとされます。
明治5年に家督を養子に譲りますが、
実子の誕生で再び当主に就任。
明治23年に貴族院議員となっており、
明治39年に死去しました。
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