峰崎官軍墓地は明治10年の西南戦争の際、
芦北町内で戦死した陸軍将兵の墓地。
周辺では佐敷や大関山一帯が戦場となり、
それらで戦死した将兵が埋葬されました。
特に大関山を巡る戦闘での戦死者が多く、
60名も埋葬されているという。
「峰崎官軍墓地」。
86名の将兵が眠る官軍墓地。
明治十年之役官軍戦死者墳墓地 標柱と、
86柱の墓石が並んでいます。
墓石は軍の基準に従って建てられており、
将校140㎝、下士官90㎝、兵卒80㎝と、
身分により大きさが違いますが、
全て天草砂岩が用いられているらしい。
「陸軍少尉八位内田荘次郎之墓(左)」、
「陸軍中尉従七位本内次則之墓(中)」、
「陸軍中尉従七位河合外衛之墓(右)」。
墓地内の将校の墓。
内田荘次郎は鹿児島県(現宮崎県)、
本内次則は宮城県、
河合外衛は山口県の出身とのこと。
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