長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
上関宰判は慶安3年(1650年)設置され、
初め長島の四代に置かれましたが、
正保期(1644~1648)に上関に移され、
更に元禄期(1688~1704)に麻郷に移転。
熊毛郡東南部を管轄しました。
「上関宰判勘場跡」。
宰判勘場は桁行18間梁行5間半で、
茅葺きの三方瓦だったようです。
その他に勘文蔵と小屋が各一棟、
表門1つと裏門2つがあったとされます。
勘場跡は米出交差点のコンビニの西側。
以前は木製の標柱があったようですが、
現在は撤去されて何もありません。
■関連記事■
・山口県岩国市 山代宰判勘場跡
奥山代宰判の勘場跡。
・山口県光市 熊毛宰判勘場跡
熊毛宰判の勘場跡。
・山口県岩国市 広瀬御本陣跡
奥山代宰判勘場となった庄屋宅跡。