長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「光市立周防小学校」。
現在の周防小学校の敷地が勘場の跡地。
宰判勘場の遺構は全くの皆無ですが、
校舎と運動場に高低差があるので、
校舎側が勘場だったのではないでしょうか?
「周防国造在所之地碑」。
応神天皇の時代(270-310)に加米乃意美が、
周防国造に赴任した地とされます。
大化の改新の後に国府は佐波に移りますが、
代わって熊毛郡家が置かれました。
※律令制の郡を治める役所。
その由緒ある地に長州藩は宰判勘場を置き、
熊毛郡西部の28ヶ村を支配させます。
一時中熊毛宰判に7ヶ村が移管されますが、
後に廃止されて再び熊毛宰判の管轄になり、
廃藩置県まで熊毛郡西部を治めました。
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