長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、
藩主の領内視察に使用されています。
このように御茶屋が併設されたパターンは、
吉田宰判勘場など領内にいくつかあり、
対外使節の応接にも利用された他、
参勤交代の本陣にも利用されました。
小郡宿には本陣三原屋があった為、
小郡御茶屋は脇本陣となっています。
下関戦争での敗北を受けた御前会議は、
この小郡御茶屋で行わたようで、
藩主毛利敬親の御前に藩首脳陣の他、
高杉晋作や井上聞多、伊藤俊輔が同席。
藩首脳の無定見に激怒した井上が、
憤慨の末に切腹しようとして、
晋作らが止めて事なきを得たという。
ちなみに井上は小郡代官も務めています。
■関連記事■
・下関市吉田 吉田宰判勘場跡/御茶屋跡
18あった宰判勘場のひとつ。
・山口県長門市 先大津宰判勘場跡
18あった宰判勘場のひとつ。