長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
当島宰判勘場は阿武郡西部地域を統括し、
その管轄には萩城下も含まれていたという。
「当島宰判勘場跡」。
萩自動車学校の東隣の公園が、
当島宰判の勘場があった場所とされますが、
遺構は皆無で跡碑もありません。
当島宰判勘場は浜崎宰判勘場と共に、
御船蔵の辺りに設置されていたようですが、
寛政4年(1792)に現在地に移転。
廃藩置県まで役割をになっていましたが、
勘場は明治9年の萩の乱で焼失しています。
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