長崎街道の起点は小倉城下の常盤橋ですが、
終点は長崎のどこかはっきりしません。
西役所や出島橋がその候補に挙がりますが、
正確にはよくわかっていない。
そこで街道としては長崎の入口までとして、
桜馬場に石碑が建てられています。
「長崎街道ここに始まる」碑。
長崎外町の新大工町と桜馬場の境界で、
新大工町は一番外側の町とされており、
桜馬場は長崎には含まれなかったようです。
※碑は長崎側からの視点である為、
「ここに始まる」となっていますが、
長崎街道=長崎への道という考えから、
当ブログでは終点としています。
「シーボルト通り」。
街道はそのまま長崎市街に続いており、
新大工町からはシーボルト通りとして、
商店街となっています。
「桜馬場天満宮」。
キリスト教が盛だった慶長12年(1607)頃、
唐津出身の高順という僧が長崎に訪れ、
新高麗町に威福寺を建立しましたが、
長崎奉行長谷川権六郎が社地を寄進。
旅の安全を祈る祈祷寺として隆盛し、
境内に天満宮も祀っていました。
カピタンや唐人の江戸参府の際や、
武士や商人等の旅人が出発する際には、
見送る人が別れの盃を酌み交わしたという。
維新後は神仏分離令によって廃寺となり、
天満神社、天満宮となっています。
長崎から数々の舶来品が上方や江戸に上り、
オランダ人や中国人の江戸参府の他に、
象やラクダ等の動物も街道を歩いたという。
そう考えると起点と考える方が、
なんとなくしっくり来る気もしますね。
■長崎街道の宿場町
■関連記事■
・福岡県北九州市 常盤橋と小倉宿跡
長崎街道の起点。
・長崎県長崎市 長崎奉行所西役所跡
長崎奉行所の役所のひとつ。
・長崎県長崎市 長崎奉行所立山役所跡
長崎奉行所の役所のひとつ。
・長崎県長崎市 出島
唯一の外国への窓口。
原爆の投下目標だったという(長崎の)常盤橋までかも知れませんね
東海道が江戸の日本橋から大坂の日本橋(にっぽんばし)までだったように
まあ長崎の常盤橋がいつからあるのか知りませんが
>もょもと(本人)さん。
コメントありがとうございます。
常盤橋はかつて古川橋という橋名で、
明治45年になって架け替えの際に、
常盤橋と命名されたようです。
でも常盤橋から常盤橋というのは、
そうだったらいいなと思いました。