呼坂の名は集落がV字形の坂になっており、
下への呼び声がよく聞こえたことに由来し、
また海老坂が変化したともされています。
西国街道の宿場に指定された事で、
賑わったとされています。
「御国廻御行程記 呼坂」。
中村川左右に市が開かれていたようですが、
当初は少し西側の丘陵に市があったとされ、
発展したのは近世以降とのこと。
周南市呼坂本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが呼坂宿のあった場所。
西側の西町から散策。
「西町の街並み」。
大きな町家が並んで現存しており、
当時の面影を感じさせてくれます。
「吉田松陰 寺嶋忠三郎 訣別の地」碑。
安政6年に吉田松陰は東送されますが、
当時高水村にいた門下の寺嶋忠三郎は、
師を見送ろうと呼坂橋の袂に出向き、
人垣の中から無言の別れを告げたという。
かりそめの今日の別れは幸なりき
ものをも言はば思いましなん 松陰
よそに見て別れゆくだに悲しさを
言にも出でば思いみだれん 忠三郎
「呼坂橋」。
中村川に架かる橋。
宿場の中央に位置していたようで、
かつては土橋だったようです。
「本町の街並み」。
呼坂橋の東側が本町。
こちらも古い家屋が残されています。
道はやや平坦ですが東に行くと上り坂。
「呼坂本陣跡」。
呼坂宿の本陣を務めた河内七左衛門宅。
代々庄屋や大庄屋を務めた家柄で、
自力を持って本陣を務めていたという。
現在も当主が在宅しているようです。
宿場町の風景は県道8号線まで続きますが、
それを過ぎればJAの建物等が現れて、
現代に引き戻されるかのようです。
この8号線を北側に行けば、
寺嶋忠三郎誕生地の案内がありますが、
これについては次回に回します。
■西国街道の宿場町
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