山口県周南市 福川宿跡

福川は古くは漁村であったようですが、
街道整備に伴って宿場に指定されたという。
元々は長州藩領でしたが、
徳山藩の成立後に徳山藩領となっており、
本陣脇本陣福田家が務めています。


御国廻御行程記 福川」。


周南市福川周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが福川宿のあった場所。

JR福川駅より北上して街道筋に入り、
東側から西方向へ散策します。

福川宿東側の街並み。
街道沿いには意外に店舗が多くあり、
古い家屋は殆ど残っていません。


株式会社シマヤ本社工場」。
街道沿いで一際目立つ建物は、
だしの素うどんスープシマヤ本社。
開業は明治23年で宿駅制度廃止後ですが、
有名な調味料会社の本社だと知って驚き。

突き当りを北上して道沿いを進む。
時折古い家屋が見受けられますが、
宿場時代のものかはわかりません。


真福寺」。
脇本陣を務めたという曹洞宗の寺院。
周防三福寺のひとつと称されていたようで、
仏法を伝え広めるだけでなく、
貧村であった福川村の干拓や、
漁業、農業等の指導拠点であったようです。
本堂は弘化4年(1647)に再建されたもの。
脇本陣も福田家が務めたという話ですので、
双方が埋まった場合の臨時の脇本陣かな?


福川宿本陣跡」。
福川宿本陣跡で正門が現存しています。
門だけが当時のもののようですが、
表札を見ると現在も当主が住んでいる模様。


福川宿西側の街並み。
古い家屋は無いようです。
街道は夜市川に突き当たるまで進み、
そこから川沿いを遡ります。

嘉永6年9月9日。
篤姫一行は福川宿本陣に宿泊。
将軍家への輿入れに向かう道中の事で、
8月21日に鶴丸城を発して陸路を進み、
西国街道を進んで福川に到着しました。

■西国街道の宿場町

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