長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
浜崎宰判は御船倉に設置されていますが、
その管轄は近隣の七浦、七島だったという。
※浜崎浦、玉江浦、三見浦、鶴江浦、
小畑浦、越ヶ浜浦、大井浦の七浦。
大島、相島、櫃島、羽島、尾島、
肥島、見島の七浦。
城下の管轄は当島宰判が担っており、
当初は浜崎宰判と併設されていましたが、
後に八丁縄手へ移転しています。
※記事はこちら。
上記のように勘場は御船倉敷地内ですが、
どのように置かれていたかは不明。
「萩城下町絵図(一部)」。
白塗り・・。
「八江萩名所図画)御船蔵)」。
巨大な御船倉が4棟確認できますが、
奥の方は雲で隠されています。
とにかく敷地内にあったのでしょう。
管轄が七浦七島であったので、
御船倉の敷地内にあるのはかなりの利点。
故に後世の扱いは空気となりますが・・。
「旧萩藩御船倉」。
良好な状態で保存されている御船倉。
上図のように4棟並んでいたとされ、
藩主御座船及び軍艦が収納されていました。
御船倉は海岸を領する各藩が設置しており、
その遺構も全国各地に残されてはいますが、
屋根付きのまま保存されているのは、
ここが全国で唯一であるという。
御船倉を引いて撮影。
このような巨大な御船倉が、
4棟も連なった姿は壮大だった事でしょう。
この1棟は倉庫に利用された為に残され、
後に保存されるに至りました。
「浜崎の街並み」。
国指定重要伝統的建造物群保存地区で、
堀内や平安古の武家屋敷群とは違い、
その町筋には伝統的な町家や土蔵が、
100棟以上も残っています。
時間の関係でゆっくり見れなかったので、
また別の機会に訪問したいと思います。
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