[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩、
そして帰藩と目まぐるしい時期で、
その際の心境が感じられます。
下記青文字は現代訳したものですが、
自前で読んでいますので正確ではないかも?
間違っていたらご指摘下さい、
「甲子殘稿 脱獄後作/脱走中作」
有命將到赤馬關、訪友人家
命有って赤馬関に至り友人の家を訪ねる。
不關死別興生離、人生浮沈不可期、
死ぬも生きるも関係ない、
人生の浮き沈みは避けられない、
一椀晩餐一杯酒、憑君聊銷満胸悲、
一椀の晩餐と一杯の酒、
少しだけ泣かせてくれないか
訪福田良助
福田良助を訪ねる
秋雨蕭々促宿悲、突然出屋叩閑扉、
秋雨が降り悲しみを促す
突然家屋の戸が叩かれた
主人淡泊容吾拙、故買縁釀慰苦思、
主人は淡泊に私を入れる
まるで盗品を売りに来たようだ
片野御小酌時俗論沸騰、有正將相爭之勢、
醉後録之而去
片野で酒を飲んでいると俗論が沸騰
正しき事について討論した
酔いが醒めた後に記して帰る
俗客叩扉驚醉眠、醒來不答笑吹煙、
酔って寝てるところを俗客が叩き起こし
酔いが醒めて何も答えず笑って一服
菊花残在柴門上、乃是閑人滴意邊、
菊の花は門の前に残る
これは閑人の考えである
一杯は安多加の關の心地なり
一杯は安宅の関(勧進帳)の心地である
訪井上興四郎、有山陽幅、次其韻
井上興四郎を訪ねる
頼山陽の描け軸があった
次はその韻
俗士不知謫人志、粉々頻唱太平尊、
俗人は罪人の志を知らず
大平尊をただ真似て唱えるだけ
飄然對酌故郷酒、半日閑話亦國恩、
郷の酒ただ飄々と酌み交わし、
半日無駄話をしたまま国を思う
訪治心氣齋先生、次杉呑鵬韻
山田治心気斎(宇右衛門)を訪ねる
次は杉呑鵬(孫七郎)の韻
嘗知国歩到艱難、無奈即今正氣殬、
国を知ろうとすると苦しみに至る
正気が残っていれば何も出来ない
不敢責人身自責、爲邦立義豈無端、
人は自分の過ちを顧みない
義なく国が立つことがあろうか
題焦心録
内憂外患迫吾洲、正是存亡危急秋、
内憂や外患が我が州に迫る
正にこれは存亡の危機である
將立回天回運策、捨親捨子亦何悲、
将に回天回運の策を持って立つ
親を捨て子を捨てて何を悲しむ
十月念三夜訪楢崎節菴、分韻賦詩
10月23日夜、楢崎節庵(弥八郎)を訪問
詩会で詩を詠む
甲裏遺歌看奇韻、挿梅慙敵氣還雄、
奇兵隊士らの辞世を詠む
挿した梅に恥じいるその雄志
三尺佩刀三寸筆、節義風流在此中、
三尺の佩刀と三寸筆
節義や風流はこの中にあり
席上匇々取筆、
席に付いて早々に筆を取る
前二句付他日再案
前の二句は後日に再案
叉次主人韻
又、次は主人(楢崎)の韻
疎直取禍誰最深、嘗知世事到方今、
誰が最も深く危機を感じているか
あるいは現在の状況を知っているか
煮茶酌酒圍棊去、亦是従容即死心、
茶を似て酒を煽り囲碁をうつ
これこそ落ち着いて死を待つ心である
念五鴻城訪井上聞多
25日に山口の井上聞多を訪問
十月念七賊官欲縛余、々斷然脱走到奇隊營、
山縣狂介誠心等信切留余、而余亦別有大志
匇々告別、時夜巳深、燈火沈々録一首誹歌去、
10月27日、賊官が余を捕縛しようした為、
急いで逃げて来て奇兵隊陣営に至る
山縣狂介は余を止めようとしてくれたが
余には大志がある 早々に別れを告げ
真夜中に燈火がゆらゆらと燃えていた
一首をしたためるて去る
燈火廼影細久見留今宵哉
燈火の影を細く見る今宵なり
捨親去國向天涯、必竟斯心莫世知、
親を捨て国を去り天涯に向かう
世の中の人々はこの心を知らない
自古人間蓋棺定、豈將口舌防嘲譏、
古から人間は棺桶の蓋を閉めて終り
どうして口舌を以って誹りを防けよう
十一月朔日潜伏白石氏家
11月1日、白石氏の家に潜伏
脱來狼虎穴、先福宿君家、
狼や虎のいる穴から脱し
宿主の家に潜伏している
無奈二州裏、人心亂似麻
防長二州をひっくり返すべし
人心は麻のように乱れている
十一月二日、發馬關趣筑前、
賦呈同行野唯人、大庭傳七、
11月2日、馬関を立って筑前へ向かう
それに同行するのは大庭傳七唯一人
以上。
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