志布志城は志布志市のあった中世期の城。
築城年は不明ながら南北朝時代に存在し、
救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、
肝付氏、島津氏等が城主となっており、
島津氏久が本拠とした時期もありました。
江戸期に一国一城令で廃城されていますが、
続日本100名城に選定された城ですので、
今回はその中心である内城を訪問します。
案内板に従い路地を通って志布志城跡へ。
左右には木造民家の廃墟群があり、
どれも倒壊寸前になっています。
これらは見た感じとても古いもので、
藩政期に建てられたものかもしれません。
「登城口」。
廃墟群をぬけると登城口。
「堀切」。
ほぼ垂直に掘られた堀切。
かなり大きな規模です。
「空堀」。
深く傾斜のある空堀。
「曲輪3下段(本丸下段)」。
この曲輪からは柱穴や土抗等が検出され、
少なくとも2棟以上の建物があったようで、
碗や皿、壺、甕等の陶磁器や土師器、
釘や金具等の金属製品、
銅銭やガラス破片、鉄滓も出土。
居住地か作業場だったと推測されています。
「曲輪3上段(本丸上段)」。
広く平坦にされた本丸上段跡。
櫓台らしきものも残っています。
志布志城は戦国期に何度も戦場となり、
落城もしている城ですが、
要所故に再建されています。
天正5年(1577)に島津家の支配下となると、
初代地頭として鎌田政近が赴任。
廃城となってからは麓に御仮屋が建てられ、
地頭が志布志領の支配を担当しました。
中世以前の山城は木々で覆われ、
素人ではよく判りません。
そんな素人ながら登城していますので、
現地では本丸跡までたどり着くのみ。
これから中世以前の城に関しては、
そんな感じで訪問致します。
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