新城島津家は垂水島津家4代島津久信が、
次男島津久章に創設させた家で、
久章は初代藩主島津忠恒の七女を室とし、
その化粧料1000石と祖母の3700石を合わせ、
4700石で創設されています。
後に2代藩主島津光久の名代を任じられ、
久章は江戸に赴いていますが、
徳川家に無礼があったとされており、
薩摩への帰路で突如失踪。
追手により久章は高野山で捕縛されて、
鹿児島の清泉寺に幽閉されました。
その後に流刑処分が言い渡されますが、
これを不服として久章は抵抗。
護送役人と乱闘に発展して斬殺されています。
この為に新城島津家は一代で断絶しますが、
遺児は垂水島津家の家臣に育てられ、
垂水家家臣末川忠清として成長。
断絶から50年後に新城島津家再興が許され、
島津忠清として2代当主となりました。
「新城島津家(末川家)墓所」。
菩提寺だった浄珊寺跡にある墓所。
新城島津家は維新後に末川姓を名乗り、
末川家の墓所となっています。
初代久章の墓は清泉寺跡にあるようで、
以降は鹿児島の南林寺に営まれました。
維新後に南林寺が廃寺となった為、
12代当主島津久治がここに改葬。
歴代当主は初代島津久章より、
2代島津忠清、3代島津久侶、
4代島津久鼈、5代島津久隆、
6代島津久昶、7代島津久備、
8代島津久輔、9代島津久徴、
10代島津久寛、11代島津久紀、
そして12代島津久治と続きました。
名領主が続いて領民に慕われたとされ、
領地の発展に尽くしていたとされます。
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