新年1発目の記事がおもしろきこともなき世ってのも、
どうかとも思いますが、
「試撃行」というブログ名のわりに晋作の記事が少ないので、
1発目くらいは晋作の話題にしようと思っての事。
一般的に晋作の辞世とされる上の句ですが、
「おもしろきこともなき世におもしろく」
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
という二説があり「に」なのか「を」なのか意見が分かれます。
どちらにせよ格好良い辞世として有名で、
格好良すぎで逆にダサいという意見まであるほどです。
まさに晋作の生き様を良く表した素晴らしいものですね。
それに比べ、下の句の「すみなすものは心なりけり」は、
あまり評価は高くないようで、
「尻つぼみ」だの「面白みの無い秀作」だの言われます。
これは晋作ではなく野村望東尼の作で、
雷電風雨のような晋作の生き様を表した上の句が、
望東尼の綺麗過ぎる作風に会わない。
という作家や歴史家の評です。
確かに的を得た意見ではありますが、
その意味も的を得ているといえます。
世の中を面白くするのも、つまんなくするのも、自分次第
まさにその通り。世の真理でもありますよね。
下の句がダメだという人達が、
ではどんなのがいいとかなんて、具体的な例は聞いた事が無い。
もちろんおこがましいからってのもあるでしょうけどね。
小説などでは、上の句で力尽きた晋作を見た望東尼が、
辞世が尻切れになるのを恐れて「すみなす・」と続けたとされ、
それを晋作は「おもしろいのう・・・」と言って、
息を引き取るシーンがあります。
実はこの句。晋作の死の前年から作られていたともされ、
もしそうならば、初めから辞世ではなかったのでは?
たとえば遊戯としての合作だったとしたら?
この「おもしろき・・・」を辞世ではないと仮定すると、
晋作からの問いのようにも聞こえてきます。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
さあ諸君!どう続ける?
・・・・そんな問いにも聞こえてきます。
たとえばこの下の句を、望東尼以外の別の誰かが作ったら?
晋作の周りの志士や諸隊士ならば、
もっと勇敢な句になったんじゃないか?
例①「おもしろきこともなき世をおもしろく
我が太刀持ちて切り開くなり」
例②「おもしろきこともなき世をおもしろく
神代の昔に帰すべきや」
※下の句by kii(笑)
こんな感じですかね?下の句が違うと意味が全然変わります。
例①の意味「面白くない世ならば、
自らの手でおもしろくするぜ」
例②の意味「今の時代が面白く無いから、
古き良き昔に立ち返るべきである」
・・・勢いあるけどありきたりですねぇ。
比較すると「すみなす・・」だけ意味が異なります。
晋作が「今の世の中は面白くないが、
それを面白くするためにはどうすれば良いか?」
と問うと「世の中をひっくり返すべきです!!」
という答えが返ってくる。
晋作自体もそんな答えが返ってくるもんだと思っていたら、
「そんなのはアンタの気持ち次第ですよ」
・・って予期せぬ答えが返ってきた。
相当のインパクトがあったんじゃないかな?
それに心を打たれた晋作が、
それを気に入って辞世にしようと決めたとしたら?
そう考えたら「尻つぼみ」や「面白みの無い秀作」は、
全くの的外れに聞こえてきます。
「おもしろきこともなき世を(に)面白く すみなすものは心なりけり」
・・また違った響きに聞こえてきましたね。
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